【感想ネタバレ有り】新海誠『天気の子』私にとっての賛否両論
天気の子とは
今や、世界的に注目されるアニメーション監督・新海誠。
叙情的な男女の物語を、美しい色彩と繊細な言葉で紡ぎ出す“ 新海ワールド” は、
国内外問わず多くの人々に支持され、生み出された作品は高く評価されてきた。
そして、前作『君の名は。』から3年―
待望の最新作が、ついに始動する。
新作『天気の子』は、天候の調和が狂っていく時代に、運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を「選択」するストーリー。
東京にやってきた家出少年・帆高が出会った、不思議な力を持つ少女・陽菜。ふたりの恋の物語は、美しく、切なく、新たな時代を迎えるあらゆる世代、そして全世界へのメッセージとして描かれる。
声の出演として、主人公・帆高に醍醐虎汰朗、ヒロイン・陽菜に森七菜が決定。2000人を超えるオーディションの中から選ばれた二人の声に大きな注目が集まる。更には、本田翼、倍賞千恵子、小栗旬ら、まさに豪華キャスティングが実現。
そして、主題歌「愛にできることはまだあるかい」を始め、劇中全ての音楽を担当するのはRADWIMPS。今作での新たなチャレンジとして、心の機微を神秘的に歌い上げるアーティスト・三浦透子をボーカルに迎え、複数の楽曲を制作。共に紡がれた、その“詩”は、新海ワールドに、より大きな感動をもたらした。
映画『天気の子』公式サイトより
感想
簡単に『天気の子』を紹介したところで、私が公開初日に観た感想を述べようと思う。
本当に個人的に感じた主観的なものなので悪しからず。
そしてネタバレも含んでいるため、ご了承ください。
賛否両論になるだろう。
そう新海誠も言っていた意味がよくわかる作品だった。
私はじゃあどっちか、という話になるが、結論から言えば、
「どっちも」
という、複雑な回答を余儀なくされる。
まず、「賛」の方から述べてみよう。
主に2つ。
①映像と音楽
天気の描き方や、風景、細かい状況描写の細かい動き。
全てが申し分なく、新海誠流石だな、としか言えない。
過去の作品よりも確実にグレードアップされており、
こだわり抜いたことがよくわかる。
建物のちょっとした錆び、
ちょっとした風による動き、
「雨」と「晴れ」の表現の引き出しの多さ、
なんて事のないシーンでも飽きさせない映像の魅力を感じた。
新海誠の凄さは、
作品の世界を崩さない統一感がある一方で、「表現の揺れ」幅が広い。
だからこそ表現を受け取る側は、
登場人物の感情を無意識に連想するし、
無意識に世界観に入り込む。
更に今回は、ただ映像が綺麗なだけでなく、映像の動かし方がよりダイナミックになり、
大きく感情の動くシーンでの迫力がグンとアニメーションで感じた。
そして。
何と言ってもRADWIMPSの音楽は、費やした労力の大きさを物語るクオリティだった。
「君の名は。」よりも表現の幅が大きく、
女性ボーカル三浦透子の起用により、音楽が映像に更に抑揚をつけており、
新海誠との共鳴具合を痛いほどに感じた。
②ストーリーに込めたメッセージ性
ここがいわゆる賛否の分かれる部分ではないだろうか。
後半からラストにかけてのストーリー。
「君の名は。」はいわゆる全てがうまくいくようなハッピーエンド。
しかし、「天気の子」ではそう人生の甘くない結末が待っていた。
どう描くのか観る前から非常に興味があったが、
こうもしてしまうとは。
流石。ブレない。
「表現したいものをするる」とはまさにこの事だと私は感じた。
さて、次に「否」の部分。
たまに冷静になってしまう違和感と矛盾
今回の110分の映画には入りきらないストーリーの背景が沢山あった。
例えば、帆高の家出の理由。
例えば、陽菜の母とのエピソード。
これらは、物語の中で「知らなくても良いもの」と私は分類できなかった。
主要キャラクターの歴史が分からないと、
行動背景だったりが分からず感情移入しにくいこともある。
し、私は、「いつ家出少年とかの伏線回収するのかな?」とか思いながら観てしまったものだから、
ちょっとモヤモヤと違和感が残ってしまった。
更に、
警察の、簡単に子供に逃げきれられる甘さ、
電車の路線をひたすら走るシーンでいや、「駅員止めるだろ」っていうツッコミ、
等、現実と比べた時の明らかな矛盾に一瞬世界観から引き戻されてしまい、冷静になってしまう自分がいたことも確かであった。
さて、「否」のフェーズでは、いわゆる「リアリティ」の部分を述べた。
しかし。
この点の難しいところはそこに「リアリティ」を求めるか、である。
上記で感じた矛盾は、リアリティには欠ける一方で、それを通じて主人公の心情を複写していたと思う。
どこまでも主人公の帆高は真っ直ぐで、無垢である。
普通だったら抗えないような警察にも抗い、その真っ直ぐな想いは大人には届かないところ。それでもその想いの気持ちが強く実現してしまうこと。
電車は決められた路面通りを真っ直ぐに走る一見受動的なモチーフだが、そこを自分で走るという主体的で真っ直ぐな描写になっていること。
このように、表現のリアリティと、表現の幅は表裏一体なのである。
これを「リアリティ」が無いと簡単に否定してしまえば、
それこそ、主人公を取り巻く「何も知らない大人」に成り下がるようにも感じる。
私が結局言いたいこと。
多分だけど、
「天気の子」においてはリアリティとか、別にそんなのどうでも良いのだ。
ただ主人公はどこまでも真っ直ぐで、
大切な人のために動いて、
でも現実はそう甘くなくて、
でも大切な人のために勇気をだす。
きっとそれだけで良いシンプルなこと。
これをあまりにも真っ直ぐに突きつけられる大人(自分)は、
やっぱり狼狽えてしまうし、背筋がしゃんとしてしまう。
そこに「リアリティーが無いからだめだ」とか
「こういう場面がないからよくない映画だ」とかほざいて映画の本質から遠ざかれば、
帆高のいう「何も知らない大人」のまま、生きていく。
私はこの作品を多くの人に見て欲しい。
乃至は、新海誠の過去作品と比較するだけでなく、
「天気の子」で描かれた真っ直ぐな想いを、
映画を評価するだけじゃなく感じてほしい、
考え直して欲しいのである。
今後のみんなの感想も注目している。